日本最後の内戦・西南戦争

西郷隆盛終焉の地
西郷隆盛終焉の地
徳川幕府解体後、明治政府は廃藩置県や地租改正を進め、封建から近代国家への歩みを進めていきましたが、まだまだ安定した政治といえるものではありませんでした。明治新政府は急ピッチで近代化を進め、武士の特権を次々に奪ったため、各地で武士の不満が高まっていました。そんな混乱のなか、明治10年(1877年)、ついに西南戦争が勃発します。不平士族と呼ばれる旧薩摩藩士族が、明治維新の最大の功労者である西郷隆盛を擁し、明治新政府に対して内戦を起こしたのです。現在の熊本県・宮崎県・鹿児島県が戦場となり、戦いは実に7ヵ月にもおよびましたがすべて新政府軍に鎮圧され、西郷は戦死してしまいます。これにより幕末維新期が終わり、明治政府の本格的な始まりとなりました。
西南戦争の外聞として、ある哀しいエピソードが伝わっています。
長かった内戦はついに終結を迎えましたが、無数の薩摩の若者たちが犠牲となって死んでいきました。そんな兵士のなかには、ふところに「なた豆」をしのばせていた者が少なくありませんでした。「なた豆を持っていれば元いた場所へ無事にもどる」という言い伝えを信じ、母親や妻が持たせたのでしょう。
彼らが生きて帰ることは叶いませんでしたが、祈りのこもったなた豆は亡き骸のふところからこぼれ落ち、いつとはなしに芽を出しました。
なた豆のおかげで縁故者のもとに帰った遺骨もかなりあったということです。

刀の鍔(つば)に見られる なた豆のデザイン

武士にまつわる刀や装飾品にはさまざまなものがありますが、薩摩に伝わる刀の鍔の代表的な意匠のひとつに「鉈豆図」があります。
上へ伸びたツルがまた下の方に戻ってくる性質に由来し、無事にもどることを祈念して作られました。
このように、なた豆は縁起のよいモチーフとして薩摩の人々の暮らしのなかに息づいていたのでしょう。

鹿児島県内の美術館や博物館を訪問された際には、なた豆の意匠を探してみてはいかがでしょうか。
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